大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和48年(ヨ)2354号 判決 1973年12月22日

横浜市港北区篠原北二丁目一一番一二号五二

申請人 浜中優子

<ほか三二名>

右申請人三三名訴訟代理人弁護士 沢藤統一郎

川上耕

大川隆司

船尾徹

村野守美

小池通雄

市来八郎

亀井時子

坂井興一

清水順子

小林和恵

阪口徳雄

右清水順子訴訟復代理人弁護士 秋山信彦

フランス国パリー市マックスイーマンススクアール一番地

日本における営業所 東京都港区赤坂二丁目五番五号

被申請人 エール・フランス・コンパニー・ナショナル・デ・トランスホール・ザエリアン

日本における代表者 ピエール・ストッケル

右訴訟代理人弁護士 森俊夫

渡辺昭

右当事者間の昭和四八年(ヨ)第二三五四号地位保全仮処分申請事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

1  被申請人が申請人らに対してそれぞれ昭和四八年一〇月三一日付文書を交付してした解雇の予告の意思表示の効力を停止する。

2  訴訟費用は被申請人の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

一  雇用の成立

被申請人が航空運輸事業を目的としフランス国法に準拠して成立した外国会社であること、申請人らが雇用地を東京、配属先を被申請人の日本支社とするスチュワーデスとして被申請人の日本における代表者である同支社長においてその期間を定めないで雇用した日本人であること、被申請人と申請人ら間における雇用契約の成立の日が別表の記載のとおりであること、外国会社である被申請人と日本人である申請人ら間の右雇用契約の成立及び効力に関し準拠法として日本国法を適用するものとしていることは、いずれも当事者間に争いがない。

二  解雇の予告

被申請人が昭和四八年一〇月三一日頃申請人らに対してそれぞれ同日付文書を交付してその雇用契約を同年一二月三一日をもって終了させる旨の解雇の予告の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

三  解雇の経緯

≪証拠省略≫を総合すると、次のとおり認めることができる。

1  SNPNCすなわちフランスにおける客室乗務員(スチュワーデス、スチュワード及びパーサー)の職業別労働組合で被申請人の唯一の交渉団体であるフランス全国客室乗務員労働組合は一五年も前から被申請人の外国支社における現地雇用職員たる外国籍客室乗務員をすべてパリー本社雇用に改める(すなわちパリー移籍)の要求をもっていた。それは、SNPNCが被申請人との労働協約の適用を外国籍客室乗務員に及ぼしてこれをSNPNCの影響下におくには、どうしてもパリー移籍が必要だったからである。昭和四八年にいたって外国人客室乗務員は日本人のほかドイツ人、ブラジル人あわせて約一〇〇名を数え、うち四二名が日本人スチュワーデスであるが、宿願の全外国人客室乗務員のパリー移籍を実現するには、日本人労組(すなわち被申請人の日本支社における日本人従業員をもって組織する企業別労働組合エール・フランス日本人従業員労働組合)の昭和四八年春闘の収拾の折が逸すべからざる好機であり、かつ、これ以上遷延させるわけにはいかない問題解決の最後の機会であるとして、SNPNCは被申請人及び日本人労組とそれぞれ接触を始め俄然精力的に動き始めた。被申請人も潮時と見てSNPNCの解決法に原則的賛意を表明した。(原則的合意の成立日時は明確でないが、遅くとも同年五月中旬までである。)この同意は抜き差しならぬ決定的なものであった。しかし日本労組はそれとは対照的に気乗薄で日時の経過につれてかえって否定的、警戒的な対応ぶりに傾き、熱心に説得を試みるSNPNCの書記長バルビエを失望させた。それというのも、SNPNCの標榜するフランス人客室乗務員と外国人客室乗務員間にはいかなる差別待遇もあってはならない、前者の享受するすべての条件は後者にも適用されるべきであるというのはわかるが、そのためにパリー移籍だけがどうして唯一の手段たりうるのか。また国籍の如何を問わない均等待遇の要求も、むしろ従来、被申請人の外国支社で採用された外国籍客室乗務員であることを口実にしてことさら劣悪な労働条件で雇用してきた被申請人の労務政策がSNPNCに対して必然的に負因に作用しその組合員の経済的地位の向上を相対的に制肘する営みをはたしてきていることへの不満からの発想ではないのか。さらにパリー移籍の要求貫徹のためにストライキも辞さぬといって憚らないSNPNCの不退転の決意も、実はフランス人客室乗務員が労働条件の擁護のためにストライキを敢行しているときに片方で外国人客室乗務員が勤務に服し結果的にスト破りの役目を果しているという年来の矛盾をもはやこれ以上容認してはならないとする戦略的意欲のあらわれではないのか。懐疑的なこれらの視点から、一見国境を超越した労働者の結束のような装いの下にSNPNCの労組エゴイズムがちらつくようにみえたからである。バルビエ書記長の意欲的説得は、五月一七日付書簡形式で日本人スチュワーデスあて直接に呼び掛けたことといい、また五月三一日にパリー事務所で申請人浜中、平田に対し四時間半に及ぶ長広舌を奮ったことといい、パリー移籍への誘いまことに花花しいものであったが、ついに彼女らを同意させるにはいたらなかった。

被申請人は昭和二五年に日本に支社を開設し、昭和二七年にはじめて日本人四名をスチュワーデスに採用した。日本人労組は昭和三〇年に結成され現在組合員数約三〇〇名、うち四一名のスチュワーデスが日本人労組客室乗務員支部を組織して独自の地歩と組合活動の領域を占め組合員の経済的地位の向上に大きく寄与している。日本人スチュワーデスの賃金、休暇その他の労働条件の改善要求がとみに昂まり、フランス人スチュワーデスの労働条件を上回るようなものもあり、フランス本国の労働条件の域に全般的に到達するに数年を要しないという意欲と目標をもって活溌に組合活動がおこなわれているので、日本支社の業務草創期から二〇年を経過したいまでは、SNPNCの指摘する客室乗務員の差別処遇は政策的にも維持しがたくなってきたし、事実この小グループ(日本人労組客室乗務員支部)が機会あるごとにしかも根気よく提起してくる待遇改善の種種の要求に対応してゆくのはかなりの負担になってきた。そこでこれ以上外国人客室乗務員のパリー移籍を遷延させてはストを仕掛けないほど追撃急なるSNPNCの積年の要求に応えることにもなり、同時に全外国人客室乗務員をパリーに移籍させることにより、従来の地域別労働組合との団体交渉の必要もなくなって客室乗務員との労働関係については唯一交渉団体であるSNPNCと交渉すれば足り、したがって、小グループのユニークな組合活動をSNPNCの傘下において発展的に解消させる契機ともなろうという一石二鳥を狙い、被申請人は日本人スチュワーデスのパリー移籍を実施する潮時と睨んだ。

2  昭和四八年六月一四日及び一五日に日本人労組の同年の春闘要求に関する団体交渉がかねての約束にしたがって日本支社で開かれた。これには被申請人側から本社人事課長ドウシェンヌが交渉権限を有する者として出席したが、春闘要求に対する回答に先立って、予定されないパリー移籍問題をだしぬけに提案してきた。手続上の唐突さはともかく、労使相対する場で被申請人側からこの問題に触れてきた最初である。皮切りにドウシェンヌ人事課長は、SNPNCのバルビエ書記長がオブザーバーとして出席していることについて「SNPNCは一五年前から全外国籍客室乗務員をフランス籍に移すように要求してきた。そこで全外国籍客室乗務員をフランス本国契約としてフランス人と同一の労働条件を与えることについてSNPNCとの間に原則的合意が成立した。この問題の要求をしたSNPNCのバルビエ書記長が出席した機会に必要とあればアドバイスがえられるであろう。」といって、移籍の具体的条件に関する交渉を提案した。これに対し日本人労組委員長小林靖夫は「被申請人がフランスにおいてSNPNCとの間にどのような協約を結ぼうとそれは被申請人の自由である。しかしその内容がわれわれの労働条件にかかわってくるものであれば、その部分はわれわれにとっては無効である。被申請人は自らの決定にしたがってわれわれに申入をおこなうべきである。それに対してわれわれは組織内で検討し、組合員の利益になるかどうかを基準にして、その申入れを受け入れるか否かを決定する。われわれの運命を決定するのはわれわれ自身なのである。」と答えて、日本人スチュワーデスのパリー移籍問題に深入りすることを避けた。またバルビエ書記長とはすでに前日接触したが、物別れの状態で終ったこともあって、被申請人やSNPNCの思惑どおりにはいかず、バルビエ書記長の助言が出る幕もなく、せっかくの機会が無為に終った。右両日の交渉により春闘は妥結したが交渉事項でまだ合意に達しなかったものを継続討議するために再度の団体交渉が同年七月末日に予定された。結局移籍問題については、SNPNCとの原則的合意なるものはまだ協約化されていないこと、及び被申請人は日本人労組に対してまだ正式に移籍問題を提案するまでにいたっていないが、その可能性はあることの二点が明らかにされたうえ、移籍問題に関する資料の説明のために次回に本社における専門家を東京に送ることを約束した。

3  同年六月二一日に日本人スチュワーデスの賃金その他の労働条件に関して同年四月一日遡って適用される新しい労働協約がさきの春闘妥結にもとづいて締結されたが、その協約書面末尾に「賃金に関する本協約条項は一九七三年四月一日から発効するが、日本人スチュワーデスのパリー配属に関する最終決定までの暫定的なものであり、同決定は日本人労組との交渉の後になされるものである。一九七四年三月三一日までに決定をみない場合はこれらの条項はすべて同日効力を失うものとする。」との条項が付加された。

4  同年八月二日にパリーにおいて被申請人とSNPNC間に外国籍客室乗務員の採用と乗務に関する協約議定書が調印されたが、その中において「外国籍客室乗務員は本拠をパリーに定める。会社は外国籍客室乗務員各自あて速かに書簡をもってパリー移籍の一般条件及び補償に関し通知する。地域代表組合が存する場合にはその組合との交渉を経た後に右の条件及び補償について決定する。協約は一九七四年一月一日に完全に発効する。」ものとした協約条項が規定された。日本人労組がこの協約のことを知らされたのは同年八月二八日にいたって本社客室乗務員担当人事課員リシャールとの会談においてであった。なお右協約中の地域代表組合との交渉条項にもとづいて、被申請人は右議定書調印と同時にSNPNCに対して「日本人スチュワーデスをパリーに移籍させる決定の事前に東京において日本人労組との協約にもとづく交渉を開いてその交渉が終了した時点においてはじめて日本人スチュワーデスに対して八月二日付協約議定書を適用するか否かの決定を下すことになる。」旨を通知した。

5  再度の団体交渉が予定より一か月遅れて同年八月二八日に開かれた。移籍問題に関する資料説明の専門家として本社からリシャール人事課員がやってきた。同人は自己の出席について「この場に出席しているのは本社決定を組合に正式に通知するためである。」とことわったうえ「本社は同年八月二日のSNPNCとの協約にもとづいて全外国人客室乗務員を一九七四年一月一日をもってパリーに移籍させることを決定した。これは本社決定だから取り消すことはできない。わたくしはこの決定の枠内で具体的手続、フランスにおける労働条件について今明日の二日間日本人労組と話し合いたい。」といった。そして右の本社決定は九月一五日に日本支社長から申請人ら日本人スチュワーデスに手紙で通知されること、右通知の内容は「同年一二月三一日をもって日本における雇用契約が終了し、同時にフランスにおける新しい雇用契約を申し入れる。この申入を受諾した者には自己退職の、拒否する者には会社都合の各退職金を支払う。右通知に対する返答は一〇月一五日までとし、同日までに返答のないものは拒否とみなす。」というものであることを明らかにした。これに対し小林委員長は六月二一日付労働協約の「日本人スチュワーデスのパリー配属に関する最終決定は日本人労組との交渉の後になされるものである。」という協議条項を引いて、会社が一方的に移籍を決定したことは納得できないから具体的な話合いには応じられないとして、会談はかなり難航もようになり、リシャール人事課員からときには「六月当時と八月二日の本社方針の決定以後のいまとでは根本的な変化があるから日本支社長が調印した協約中の協議条項には拘束されない。」とか、「本社としては全外国人客室乗務員を解雇することも可能であったが、あえてフランスにおける再雇用という方針をとった。」とかいう発言まで飛び出したりした。やや険しい雰囲気のなかではあったが、ある程度の資料説明がおこなわれた。小林委員長はリシャール人事課員に対して各本人あての九月一五日付日本支社長通知の発送をやめること、及び被申請人側の交渉権限を有する者との交渉を早急に開始することを強く要求し、同人は右要求を本社に伝えることを約束した。

6  日本人労組の団体交渉の開始の要求によって同年九月一二日に被申請人側から交渉権限のあるドウシェンヌ人事課長がやってきてパリー移籍問題について日本人労組との正式交渉をしようということになった。まず小林委員長は、いまは「九月二一日に臨時の組合大会を開いてパリー移籍問題につき組合の態度を最終的に決定する。」という段階にあることを明らかにして交渉に臨んだ。ドウシェンヌ人事課長は、日本人スチュワーデスのパリー移籍の提案理由として、各国籍にわたる外国人客室乗務員の諸規則の調整と運航上の必要という二点をあげて説明をした。諸規則の調整とは結局外国人客室乗務員についてもフランス人同様にフランス国法下の労働関係諸法規、とりわけSNPNCとの労働協約が適用される必要があるということで理解に困難はなかった。しかし、運航上の必要性の点ではどうしてパリー移籍と結びつくのか合点がいかなかったので、日本人側の真摯な追求が続いたが、説得力を欠く抽象的かつ平板な説明の域を出なかった。八月末のリシャール人事課員との会談のときとは打って変った穏やかな装いのなかで、ドウシェンヌ人事課長は「SNPNCの要求は二義的理由」といったり、六月二一日付労働協約中の協議条件については「日本人組合の同意がなければパリー移籍を強行しないという精神であることは認める。」といったりしながら、強行もありうるかという質問には「答えられない」といって突っ撥ねた。そして同人は右協約中にいうような最終決定は日本人労組の組合大会による決定のあと被申請人が日本人労組の意向に対して、受容、拒否、協議のいずれかを選択しなければならないものであること、日本人スチュワーデスの各本人あての日本支社長による被申請人の通知は右の最終決定があるまでは発送しないことを明確にした。三日間にわたる協議は一応意をつくしたものとなったが、基本的な意向の対立による双方の隔たりはついに歩み寄ることがなく、パリー移籍の必要性について日本人労組側のえた理解の程度は、熱心に質疑応答が交わされたのにもかかわらず、心証稀薄にして「全外国人客室乗務員をパリーベースにした方がなにかと会社にとって便利だ。」というほどのものでしかなかった。

7  同年九月二一日に臨時に組合大会を開いて日本人スチュワーデスのパリー移籍問題を討議した結果、出席した客室乗務員全員を含め満場一致でパリー移籍について被申請人の提案を受諾しない方針を決定し、同月二五日に日本支社長あてに右決定を通告した。

8  パリー移籍問題に関する団体交渉の最後は一〇月二五日であった。被申請人側はこの問題で三たび来日したドウシェンヌ人事課長であった。この日の同人の役目は、すでに本社において一〇月三日にSNPNCに対し「一九七三年八月二日に定めた一般原則にもとづいて(被申請人とSNPNC間で締結された外国籍客室乗務員の採用と乗務に関する協約議定書による)、日本人客室乗務員をパリーに移籍させることに決定した。」旨を通知したことについて、これを日本人労組に通知すること、そして右の移籍決定の適用面につき日本人労組との細目的な詰めを取り極めることであったが、適用方法の話合いに入ることはできなかった。そこでドウシェンヌ人事課長は日本人労組側に対し本社予定として「日程上週末にも各本人あて移籍の条件等の説明書を添えた書簡を送る。これに併行して新しい乗務員を雇用して昭和四九年に必要な人員を確保する。」旨を伝えた。小林委員長は、これに対して再考慮を要求したが、容れられなかったので、ついに「われわれは第三者の力を借りてでも理解させるように行動する。」といって、被申請人の最終的通告に対する法的救済手続をとるべき旨をきわめて婉曲に示唆した。幕切れは、ドウシェンヌ人事課長が「再雇用か退職か二者択一の選択しかないだろう。」と切口上をいえば、小林委員長が「新しいポストを用意して、それがいやならやめろというのは命令だ。」と切り返すような応酬で終った。

9  このようにして被申請人は同年一〇月三一日頃申請人ら日本人スチュワーデスに対してそれぞれ書簡形式の同日付文書をもって「ここに全外国人客室乗務員をパリー配属にするという本社決定を正式に知らせる。したがって日本における日本人スチュワーデスとの雇用契約を解消し、同時にパリーにおける新しい雇用契約を提案する。移籍の諾否は一一月二〇日までに返答されたい。移籍を拒否された場合、及び期日までに回答がない場合には右期日の日から解雇予告期間に入ったものとみなされ一九七三年一二月三一日をもって解雇となる。」旨を申し入れた。

以上のように認めることができ、この認定をうごかすに足りる証拠はみあたらない。右認定の事実によれば、さらに次のようにいうことができる。

被申請人における全外国籍客室乗務員のパリー移籍という一斉配置転換は、SNPNCが被申請人に課した年来の宿題であったが、いよいよその実現を銘銘の思惑と意図による同床異夢の労使提携によって指向するにいたった。ドウシェンヌ人事課長は日本人労組との交渉席上でパリー移籍の必要性に関連して「SNPNCの要求は二次的理由」であるといっているが、この発言は、日本人労組との団体交渉の場においてSNPNCの役割をことさらに過小評価しようとした意図によるものであり、また、ドウシェンヌ人事課長がSNPNCの書記長バルビエを同席させた際、日本人労組の小林委員長が同人事課長に対して「パリー移籍の提案は被申請人が自らの決定によって日本人労組になされるべきものである。」と指摘したのも、移籍問題の仕掛人的存在であるバルビエ書記長の動きに対する懸念から出たものであろう。しかし、日本人労組の憂慮をよそに、事態はSNPNCの筋書通りに進展して、SNPNCが被申請人から原則的合意を取り付けたこと(遅くとも五月頃)から、八月二日付協約議定書の調印を経て、最後には被申請人が申請人ら日本人スチュワーデスに対して「再雇用か退職かの二者択一」を迫って一〇月三一日付書簡による解雇予告となったとみることができる。

四  解雇の効力

1  申請人らがパリー移籍には応じまいとしてその諾否の返答の期日である昭和四八年一一月二〇日を徒過した(このことは当事者間に争いがない。)ことにより、本件解雇の予告の意思表示は、申請人らに対して右期日から解雇の予告の期間に入り、まえに認定したとおり、同年一二月三一日をもって解雇の効力を生ずべきものとしてなされたというべきである。

本件パリー移籍は、日本人スチュワーデスの雇用及び配属地を東京からパリーに変更するために、従前の雇用契約を終了させると同時に新しい雇用契約を成立させるという手続がとられたが、再雇用の成立するかぎりにおいて実質上の転勤すなわち配置転換にはほかならない。ところが、申請人らが東京を雇用地とし、被申請人の日本支社を配属先とするスチュワーデスとして期間を定めないで被申請人に雇用されたものであることは当事者間に争いがないから、その雇用契約上勤務地は東京と特定されているのである。したがって、被申請人は申請人らに対してその雇用地又は配属地を東京以外の場所に変更する転勤その他の配置転換を命ずることができないし、申請人らは自己の意思にもとづくのでなければ東京以外の場所にその雇用地及び配属地を変更されることがないというべきである。申請人らはその雇用契約上右のような地位を有するものであるが、さらに、≪証拠省略≫をあわせると、日本人スチュワーデスの採用条件は、年令二〇歳以上二七歳未満の日本人女で独身者であること、フランス語又は英語のいずれか一か国語を完全に話すことができ、かつ、他の一か国語につき実用に供しうる程度の知識を有すること、被申請人が行なう選考試験並びに指定医による健康診断に合格することであり、試用期間六か月、一おう三五歳をもって定年とするが、四〇歳まで一年毎に更新することができるものとし、解雇事由につき就業規則は、服務上の義務違背にもとづく制裁たる解雇(これはさらに予告を伴うものとそうでないものの二段階がある。)を規定するだけであり、年収は在職一年(平均二四歳)で四万八一四二フラン、同六年で五万四九六二フラン、同九年で六万四九〇フラン(標準レート一フラン=六二円三一銭換算三七六万九一三九円)であることが認められるから、申請人らの雇用契約上の地位は比較的に高く、かつ、安定したものということができる。しかも、日本人女にとって、英仏二か国語につき一か国語を完全に話すことができ、他の一か国語につき実用に供しうる程度の知識を有することを要求されることは、その習得の努力及び困難において英米仏人と同日の談ではなく、入社競争率においても、被申請人をはじめノース・ウェスト、BOACなどの一流外国航空会社のスチュワーデスへの関門を通ることが、ときには三〇倍を越える狭き門となっていることは当裁判所に顕著な事実であるから、申請人らが被申請人会社のスチュワーデスとしてその雇用関係上有する右地位及び利益は、もとより被申請人が与えたものではあるが、同時に自己の刻苦勉励に負うものであり、かつ、既得のものというべきである。したがって、被申請人は、申請人ら日本人スチュワーデスがパリー移籍に応じない場合においても、みだりに右既得の地位及び利益を一方的に奪うことを許されないものといわなければならない。

被申請人は「申請人らが再雇用を選択しない以上、申請人らとの雇用契約を終了させるほかない。」といって解雇の自由を志向するもののような主張をする。すでに認定したところであるが、本件パリー移籍問題に関する交渉及び会議の場で日本人労組側に向って、ドウシェンヌ人事課長が「再雇用か退職か二者択一の選択しかない。」とうそぶき、リシャール人事課長が「本社としては全外国人客室乗務員を解雇することも可能であったが、あえてフランスにおける再雇用という方針をとったのだ。」と言い放つ。また「法律に従い」解雇の予告と補償(退職金)を支払う以上解雇は有効であるという趣旨のものが本件訴訟資料で被申請人の提出に係るもののなかに散見される。これらは、いずれもその基調を一にして、解雇の自由の原則に立つものであり、法の適正な手続に従うかぎり解雇を正当とするものである。ここで解雇の自由についてかれこれ論ずるつもりはない。ただ本件においては、被申請人と申請人ら間の本件雇用契約の成立及び効力に関しては日本国法を準拠法とすることにつき当事者間に争いがないが、被申請人がフランス国法に準拠して成立した外国会社であるので、以下にふれる程度にとどめる。日本国法のもとにおいても、解雇の自由は存する。しかし、権利の濫用は許されないから、解雇の自由の範囲は広くない。使用者の解雇権の行使は、労働者の雇用関係上の地位と利益の保護のために、客観的に合理的な理由が存し社会通念上相当として是認されうる場合にのみ許されるものとするのである。すなわち、講学上にいう解雇権乱用の法理が認められているが、この法理はわが国において判例上定着したものということができる。

2  申請人ら三三名の者がパリー移籍に応じなかったことにもとづいて一斉に本件解雇がなされたが、パリー移籍を応諾すべき雇用契約上の義務が申請人らに存しないことがすでに明らかであるから、本件解雇の性格は、解雇の経緯に関する前記認定事情に照らして、その果断強行性において会社倒産、事業場閉鎖等に伴ういわゆる整理解雇に似た面を呈するものというべきである。しかし、弁論の全趣旨によれば、被申請人の場合においては、事業の伸長がめざましく、外国人客室乗務員は現在の約一〇〇名のほか昭和四九年一月一日以降さらに一六〇名(内訳日本人四五、ドイツ人一五、アラブ人一〇〇)を増員することを決定しているほどであることが認められるから、本件解雇はただ果敢さ、強行さの故をもって整理解雇的属性を有するものといわなければならない。

ところで、被申請人は、本件解雇の理由として、パリー移籍の必要性及び合理性にもとづいて外国人客室乗務員に適用すべき諸規則(労働協約が主たるものである。)の調整及び運航上の必要をあげるけれども、被申請人と外国支社における地域労働組合間において客室乗務員のパリー統合後に適用すべき労働協約の各規定と同一内容のものを協定することができるわけであり、また、≪証拠省略≫によると、在日主要外国航空会社で被申請人同様いわゆる東京ベース制(東京を基地にして東京で雇用した日本人スチュワーデスを配属させる。)を採用しているものに、ノース・ウェスト、BOAC、アリタリヤ及びスカンジナビヤ航空の各社があることが認められ、また被申請人自身昭和二七年いらい東京ベースを一貫して維持しているのであるから、反対の事情のない限り、被申請人をはじめこれら主要外国航空会社はいずれも東京ベース制によって業務の正常な運営をはたしているとみるのほかはないし、パリーに移籍したからといっても、スチュワーデスの勤務の特殊性から、ただ名目的に配属根拠地(基地又はベースともいう。)がパリーに変るだけのことであり、勤務の態様及び生活の実態等にさしたる変化をきたすものでないことが本件弁論の全趣旨によって認められる。したがって、被申請人の主張する解雇の理由はにわかに首肯しがたいものというべきである。

また、被申請人は、本件解雇は被申請人の外国支社における外国客室乗務員部門の事業閉鎖に基因するとも主張する。しかし、被申請人の企業組織中の一部の事業閉鎖といっても、被申請人も自認するとおり、被申請人の航空運輸企業を全体的にみてその人的機構、物的設備及び業務量に縮減をきたすものではなく、たんにパリー移籍のことを意味するにすぎないから、被申請人のいうところは類語反覆に陥入るものというべきである。

3  以上の理由によれば、被申請人が申請人らに対してそれぞれ昭和四八年一〇月三一日付文書を交付して申請人らとの各雇用契約についてしたその「雇用契約を同年一二月三一日をもって終了させる」旨の解雇の予告の意思表示は、パリー移籍の動機的事情並びに解雇の理由に照らして、到底客観的に合理的な理由が存するものとはいえないから、解雇権を乱用したものとして無効と解するのが相当である。したがって、被申請人と申請人ら間の各雇用契約は右の解雇の予告により同年一二月三一日をもって終了することはありえないというべきである。

五  保全の必要

申請人らとの各雇用契約がいずれも本件解雇予告により昭和四八年一二月三一日をもって終了するものとして、被申請人が申請人らに対して昭和四九年一月一日以降における雇用契約上の地位を認めないことは当事者間に争いがなく、被申請人はフランス国営の航空会社であり、申請人らはいずれも同会社に雇用されたスチュワーデスである。このような事情のもとにおいては、特段の事情のないかぎり、申請人らは著しい損害をこうむる虞れがあるから、本案判決が確定するまで、申請人らが右の雇用契約上の地位にあることを仮に定める必要があるといわなければならない。

よって、申請人らの本件仮処分申請は、被保全権利及び保全の必要性について疎明があるものというべきであるから、申請人らに保証を立てさせないで、これを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中川幹郎 裁判官 仙田富士夫 裁判官 大喜多啓光)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例